目次
- 聖霊の火と神の言葉:張在亨牧師の信仰の基礎
- 別れの説教と真理の聖霊:イエス様の最後の訓示と張在亨牧師の適用
- 御言葉黙想と“教宗的”信仰教育:日本宣教と教会成長のモデル
- 聖霊を消さない生き方:真理・感謝・祈り・喜びの実践
- 国際的宣教ビジョンと共同体の成熟:張在亨牧師のグローバルな宣教方向
聖霊の火と神の言葉:張在亨牧師の信仰の基礎
張在亨牧師の牧会哲学と信仰教育の基礎には、「聖霊を消してはならない」(Ⅰテサロニケ5:19)という命令が深く刻まれています。このシンプルな一節は、教会共同体とクリスチャン個々人の信仰の旅路全般を貫く、核心的な真理を含んでいるのです。キリスト教の信仰生活において、聖霊は単なる助力者ではなく、神の御霊であり根源的な動力です。私たちの魂と教会を再生産し、成長させる唯一の源である聖霊がなければ、御言葉も礼拝も宣教も空虚になり得ますし、聖霊の火が消えれば、信仰は形式的で乾いた儀式に終わりやすくなります。
張在亨牧師は、聖霊を火、風、真理の光など多様なイメージで説明します。火は浄化と情熱、力と活力を象徴します。火のように燃え上がる聖霊は、人間の魂の不純物を焼き尽くして純粋にするだけでなく、私たちの信仰や愛、希望や意思を熱く燃え立たせます。風としての聖霊は、方向づけと動力を象徴します。神の御霊は風のように吹き、私たちが留まりたがる停滞から抜け出して、真理の道へ、与えられた使命へと進むように促します。さらに聖霊は、御言葉の中で真理を照らす光として働きます。暗く混乱した世界の中で、真理の光は道を明るく照らし、御言葉を単なる文字のテキストではなく、生きておられる神の声として体験させるのです。
聖霊の火を絶やさないために欠かせない要素は、神の御言葉を継続的に黙想することです。張在亨牧師は「昼も夜も黙想しなさい」という聖書の原則を強調します。信徒たちは御言葉を読み、研究し、体得していく過程で、聖霊の導きを経験するのです。単なる教理的知識や倫理的規範を越えて、御言葉を通して私たちの心に聖霊の火種が点火されます。これは共同体の次元でも重要です。御言葉を中心に集まり学び合い、共に聖書の深い真理を悟るとき、その共同体は単なる宗教的集会ではなく、霊的な学習共同体として聖霊の炎を持続して燃やし続けることができます。
ここでイエス・キリストの救いの御業は、聖霊の炎を持続させる中核となる軸です。イエス様は罪と死に打ち勝ち、人類を永遠の命へ導くためにこの地上に来られました。十字架での代償的死と復活を通して罪の赦しと永遠の命への道が開かれ、この福音の真理が聖霊の臨在を受ける土台を整えたのです。張在亨牧師はイエス・キリストの十字架と復活を強調し、この救いの出来事がなければ聖霊の体験も御言葉の黙想も本質を失うと指摘します。聖霊の火は究極的にイエス・キリストの福音の真理の上でのみ燃え上がり、この真理の上にしっかり立つとき、信徒たちはいつでも聖霊の力と情熱を保てるのです。
結局、張在亨牧師が提示する信仰の基礎は、聖霊と御言葉、そしてイエス・キリストの福音の真理を統合的に握ることにあります。この三重の土台の上で、信仰者は単なる宗教儀式に留まることなく、動力と方向、光と生命に満ちた信仰の旅路を歩めるようになります。このような信仰の基礎は、後に扱われる別れの説教、日本宣教、聖霊の実践的生活、国際的ビジョンなど、多岐にわたる領域で拡大適用され、教会を復興させ、宣教の拡大をリードする原動力となっていきます。
別れの説教と真理の聖霊:イエス様の最後の訓示と張在亨牧師の適用
イエス・キリストが地上におられたとき、弟子たちに残した別れの説教(ヨハネの福音書13~17章)は、過去のある一時点で与えられた遺言的なメッセージにとどまらず、現代の教会と信徒たちにも有効なメッセージとして残されています。張在亨牧師はこの別れの説教を、イエス様の最後の訓示であると同時に、聖霊時代を開くための決定的メッセージとして読み解きます。イエス様は十字架の死を目前にして、弟子たちに「自分が去ることはあなたがたにとって益になる」と語り、去ることによって助け主なる聖霊を送ると約束されました。これは弟子たちがもはやイエス様の物理的な臨在に頼らなくても、聖霊のうちにイエス様と永久的な交わりを維持できることを意味しています。
ここで助け主である聖霊の役割が核心となります。聖霊は罪と義、そして裁きについて世を戒め、真理の中へ信徒たちを導かれるお方です。イエス様は聖霊を「真理の御霊」と呼ばれ、聖霊が臨在するとき、弟子たちはイエス様の御言葉を思い起こし、その意味を完全に悟り、将来のことを悟る賜物を得ると語られます。張在亨牧師は、聖霊が単に神秘的な体験や感情的な慰めを提供するだけではなく、真理の認識と実践のための本質的な動力であると繰り返し強調します。
この別れの説教における聖霊の約束は、現代の教会にも等しく適用されます。イエス様が去られてから約2000年が経過した今でも、教会は聖霊のうちに依然としてイエス様の教えと御臨在を経験できるのです。これは地理的・文化的・時代的境界を超越する聖霊の普遍性を示します。張在亨牧師は、別れの説教を通して現代の教会が聖霊時代の本質を悟り、聖霊の導きに従って教会と宣教の働きを行うよう促しています。
特に日本を含む世界各地の宣教現場では、このメッセージが強力な動機となります。福音を伝えるにあたって、物理的制約や文化的相違、言語の壁など多様な障壁が存在しますが、聖霊時代を自覚する教会は、それらすべての障壁を乗り越えることができるのです。聖霊は真理の御霊として、あらゆる文化圏、あらゆる人種、あらゆる時空間に共通する真理を伝え、信徒たちを一つに結び合わせます。別れの説教に示されたこの聖霊時代の開幕は普遍的かつ超歴史的な意味を帯びており、張在亨牧師が追求する国際的宣教ビジョンにおいても核心的な神学的根拠となっています。
御言葉黙想と“教宗的”信仰教育:日本宣教と教会成長のモデル
日本での宣教経験に関連して、張在亨牧師は「教宗的(きょうそうてき)信仰教育」という概念を導入しています。仏教には“教宗”と“禅宗”という区分があり、教宗は経典を中心に教え、学び、悟りへと至る伝統を、禅宗は坐禅や瞑想を通して直接体験に基づく悟りを重視します。もしこれをキリスト教的視点で例えるならば、教宗的アプローチは聖書という経典を体系的に教え、研究することに力を注ぐ信仰教育を意味します。日本人は伝統的に学問的探求と知的省察に慣れ親しんでいるため、日本の教会が教宗的信仰教育に力を入れれば、信徒たちが真理の上にしっかり立ち、聖霊の火が消えない共同体を築けると、張牧師は主張しています。
日本の教会は、西欧のキリスト教宣教の歴史の中で多様な形で福音を受け入れてきたものの、長期的には成長の停滞や信徒の減少現象を経験してきました。多くの教会が日常の礼拝や式典にとどまり、信徒の信仰を深く形成する教育プロセスが不足していたという指摘があります。張在亨牧師は、この現状を打開するために、聖書中心の信仰訓練を強調します。聖書は単なる宗教文献ではなく、神の啓示と真理が込められた命の言葉です。これを昼も夜も黙想し、共同体が共に討論して学び、実生活に適用することで、教会は深い根を持つ霊的共同体へと生まれ変わることができます。
宗教改革の三大原則である「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」は、まさにこの教宗的信仰教育を裏付けるものです。形式的な儀式や制度的枠組みよりも、聖書に基づく真理、恵みによる救い、信仰による生き方こそが重要です。日本の教会には、内村鑑三の無教会主義の伝統のように、形式的枠組みを超えて御言葉そのものに焦点を当てる流れがあります。この伝統を生かし、教会が学びの共同体となり、聖書を深く掘り下げる文化を定着させるならば、聖霊の御業がそこに生き生きと働き、教会を復興へと導くことができるのです。
張牧師は、このような教育モデルを通じて、信徒たちが年齢を重ねてもなお学び、成長し続けられるのを目撃したといいます。修養会やセミナーで、高齢の信徒たちもノートを取りながら聖書を研究する光景は、教会が絶えず真理によって新たにされる姿を示しています。こうして教会は空席の多い礼拝堂を満たし、霊的に乾いた雰囲気から脱却し、聖霊の時代にふさわしい活気と躍動を取り戻せるのです。
聖霊を消さない生き方:真理、感謝、祈り、喜びの実践
テサロニケ人への第一の手紙5章16~18節の「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」という勧めは、聖霊の火を持続する具体的な生き方そのものです。張在亨牧師は、これらの命令を単なる道徳的要請や理想的な目標値ではなく、聖霊に満たされた生活の実際的な指針として解釈します。
現実には、「いつも喜べる」ことなど可能なのでしょうか。人生には苦痛や試練、痛みが多く、人間的視点からは喜びを保つことが容易ではありません。しかし張牧師は、イエス・キリストの勝利をその根拠として提示します。イエス様が「私は世に勝った」と宣言された瞬間、信徒の人生にはどんな状況においても揺るがない内的喜びの根拠が生まれたのです。これは感情的な高揚ではなく、究極的に勝利された主を信頼する信仰から来る安心感なのです。
「絶えず祈りなさい」という生活態度も同様です。これは1日24時間、休まず口で祈るという意味ではなく、人生全体を祈りの姿勢で生きるということを意味しています。聖霊は私たちの弱さを助け、神の御心にかなう祈りができるよう導かれます。信徒は絶えず心を神に向け、日常生活の様々な瞬間に聖霊の導きのもとで神の臨在を体験できるのです。
「すべてのことについて感謝しなさい」という態度は、あらゆる状況の中で神の摂理と主権を認める信仰の表れです。感謝は単なる礼儀や挨拶ではなく、神がすべてを働かせて益としてくださるという信頼に基づくものです。聖霊はこの信仰を強め、状況に左右されない感謝の姿勢を築かせます。このように喜び、祈り、感謝は相互に絡み合い、聖霊の火を持続させる霊的呼吸のようなものです。
張在亨牧師は「預言をないがしろにせず、すべてを見分けて、良いものをしっかり握り、あらゆる種類の悪を避けなさい」(Ⅰテサロニケ5:20-22)という勧めも強調します。これは真理の聖霊のうちに分別力を持つという意味です。現代社会は情報の氾濫の時代であり、信徒は数多くの思想や文化、情報の中で真理を区別し、善いものを選び取らなければなりません。聖霊に満たされた生活は、単なる感情的な熱さにとどまらず、成熟した霊的識別力を伴います。聖霊の火を絶やさないためには、不純な影響を遮断し、真理と善、益となるものを積極的に握りしめる姿勢が必要なのです。
修養会や特別集会で受けた恵みを日常へ持ち帰るとき、多くの信徒が初めの情熱を保てず霊的に冷めていく経験をします。張牧師はこれを防ぐために、継続的な御言葉の黙想、祈り、感謝、預言の分別を通した真理の追求を提案します。聖霊は一時的な感情ではなく、人生全般を導く原動力であり、この原動力を保つには、信徒の絶え間ない努力や意志、そして聖霊の恵みあふれる助けが必要です。こうして個人の信仰者はもちろん、教会共同体全体が聖霊に満たされた生活の実を豊かに結ぶことができます。
国際的宣教ビジョンと共同体の成熟:張在亨牧師のグローバルな宣教方向
張在亨牧師は、宣教を地域的・局所的次元にとどめず、全世界的次元に拡張するグローバルビジョンを提示します。福音が国際的に伝わるとき、言語や文化、社会的差異などによる困難が不可避に発生します。しかし張在亨牧師は、聖霊の力はこれらの障壁を超越すると信じています。聖霊は真理の御霊であるがゆえに、あらゆる文化圏の人々が共感し理解できる真理として福音を示すのです。これは単に翻訳された聖書や言語訓練にとどまらず、聖霊のみわざによって人々の心に直接教えを刻み、納得させる神秘的な働きを含みます。
国際的宣教ビジョンにおいて重要なのは、聖霊に満たされたリーダーシップの育成です。各国・各共同体に聖霊に満たされた指導者を立て、彼らが現地の文化を理解しつつ、創造的な形で福音を伝達できるように支援することが核心的戦略となります。そのためには体系的な神学教育、聖書講解、リーダーシップトレーニング、牧師修養会、国際学術フォーラムなどが必要です。張牧師は、こうした学習と訓練を通じて世界のキリスト教共同体が成長・成熟し、聖霊時代を先導する教会となり得ると強調します。
さらに国際的宣教は、社会と文化全般に福音の価値を浸透させる働きでもあります。経済界のリーダーや政治家、学者を含む多様な分野の人々が福音に触れ、真理の聖霊のもとで人生と仕事、働きを再解釈するとき、その影響力は指数関数的に広がり得るのです。教会は単なる宗教的礼拝空間にとどまらず、社会のあらゆる分野にわたって聖霊の炎を届けます。その過程で聖霊はリバイバルと変革、成長と成熟を導き、初代教会のような活気が現代世界に再び実現されます。
張在亨牧師は、このような国際的ビジョンを実現するために、霊的な原理と実際的戦略を結びつけます。一方では真理・御言葉・聖霊という神学的基盤を確固たるものとし、他方では各文化圏に合う教育と訓練の方法を開発し、グローバルなネットワークを構築します。こうした二面的な努力によって、教会は世界の舞台で能動的に福音を宣べ伝え、聖霊の導きのもとで各国の必要や状況に合わせて宣教を展開できるようになるのです。
最終的に、聖霊時代の教会は「地上の大命令」(マタイ28:19-20)を成就していく過程で、真理に基づく福音の宣教と聖霊に満たされた共同体形成を通じて、世界への神の摂理を実現していきます。張在亨牧師の国際的宣教ビジョンは、単なる数的成長や組織拡張ではなく、真理と恵み、聖霊の力が調和する普遍的な教会の建設を目指しています。これは信仰共同体が単に生き残るのではなく、時代や文化、歴史や境界を越えて神の国を築いていく拡張された使命へと繋がります。
整理テーマおよび結論
張在亨牧師が示す信仰と牧会の中心軸は、聖霊、御言葉、イエス・キリストの福音の真理に要約されます。聖霊の火を絶やさない生き方は、クリスチャンにとって不可欠であり、そのためには御言葉の黙想、祈り、感謝、喜びの実践、預言の分別、真理の追求が求められます。別れの説教で約束された聖霊時代を悟り、“教宗的”信仰教育を通して深い根を張る教会共同体は、個人の成熟を越えて宣教の使命へと広がっていくのです。
特に日本宣教の事例で示された教宗的信仰教育は、単なる地域的応用ではなく、世界中どこでも効果的に展開可能な普遍的原則を含んでいます。グローバルな宣教ビジョンのもと、聖霊は文化と言語の壁を超えて真理を伝達し、教会は世界規模の学習共同体・聖霊共同体へと成長していきます。この過程を通じて教会は時代の挑戦に応答し、新たなリバイバルと成長を体験し、最終的には神の御心を地上に実現していくのです。
張在亨牧師のビジョンは、一人の説教者や指導者の個人的なアイデアにとどまらず、聖書的根拠と歴史的洞察、時代的要請を総合した包括的な信仰戦略として現れています。聖霊時代に真理のたいまつを掲げて進む教会は、もはや乾いた儀式に陥ることなく、イエス・キリストの勝利と復活、聖霊の内住に力を得て、常に新しく刷新される信仰共同体となります。このようなビジョンを自らのものとするとき、教会は地域的限界を越えて国際的影響力を発揮し、文化変革と霊的覚醒を起こす使命を果たすようになるでしょう。
張在亨牧師の信仰ビジョンはここにとどまらず、聖霊時代を通じた文化変革と霊的生態系形成という、さらに広い文脈へと拡大する可能性を秘めています。聖霊は信徒個人の内面変化だけでなく、教会共同体、そして社会全般を変革する動力です。真理の上に立つ聖霊共同体は神の国の価値観を実践し、社会構造や文化を変革する文化の変革者としての役割を担います。
たとえば経済界のリーダーやCEOが聖霊の導きを受けるならば、企業経営の原則やビジネス倫理が福音的価値観によって再解釈されるでしょう。公正と愛、配慮と協力の精神が企業文化に浸透すれば、それは社会全般にポジティブな波及効果をもたらします。政治や行政分野において聖霊に満たされた指導者は、公的政策や立法過程に神の正義と公義を反映させることができ、教育・芸術・科学技術分野でも聖霊の照らしによる創造的なアイデアや革新が生まれます。
張在亨牧師が志向する国際的宣教ビジョンは、最終的にはこうした文化変革を通じて神の国が地上に拡張されることを期待しています。教会は、御言葉と聖霊によって訓練された信徒を世の各領域に送り出し、彼らが信仰の価値観を現場で実践できるよう奨励します。こうして形成された霊的生態系は、単に教会内部の信仰行為にとどまらず、社会と文化全般を包み込む広範な影響力のネットワークへと発展していきます。
聖霊時代の霊的生態系形成は、地域教会、宣教機関、神学校、文化団体、NGO、企業、政府機関など多様な主体が互いにつながり合い、真理を分かち合い、資源や知恵を結合していく過程で実現されます。張在亨牧師は、このような統合的ビジョンを通して教会が時代の流れに流されることなく、むしろ聖霊の力によって時代を変革する主体として立ち上がることを望んでいます。これは教会が単に生存や守りの姿勢を取るのではなく、積極的に世を仕え、癒し、最終的に神の御心を実現する使命にあずかることを意味します。
要するに、張在亨牧師が提示する信仰戦略は、聖霊の火を消さない個人信徒の生活から始まり、教会共同体を学習と成熟の場へと育て上げ、そこから国際的宣教ビジョンと文化変革へと拡大していく大きな構図を見せます。その過程で聖霊の火は真理のたいまつとして世を照らし、感謝と祈り、喜びと分別によって信徒たちの人生に力を与え、御言葉と救いの真理によって教会共同体を絶えず刷新します。最終的には、この総合的かつ統合的な信仰ビジョンを通じて、教会は21世紀の聖霊時代にふさわしい役割を果たし、神の国が地球規模で拡張される驚くべき歴史を体験することになるのです。